
24時間テレビで語られなかった弟たちの施設生活。
横山裕さんが実際に訪れた児童養護施設で目にした保育日誌には、幼い弟たちの心の声が綴られていました。
テレビ画面を見つめながら「きみ兄ちゃんや」と呟く姿、お兄ちゃんに会いたくて泣いた夜…、その切ないリアルを深掘りします。

弟たちが過ごした児童養護施設の真実
施設生活を強いられた6歳と8歳の兄弟
横山裕さんの弟、**次男・勤(つとむ)さん(当時8歳)と三男・充(みつる)さん(当時6歳)**は、母親の闘病と義父との離婚により、一時期児童養護施設での生活を余儀なくされました。
現在の児童養護施設では虐待が入所理由の約7割を占めますが、横山家の場合は「経済的困窮」が主な理由でした。
これは全体の6.8%にあたる、比較的珍しいケースです。
横山家の当時の状況 | 一般的な施設入所理由との比較 |
---|---|
母親の胃がん発症・闘病 | 親の疾病・障害(8.2%) |
義父との離婚・経済困窮 | 経済的問題(6.8%) |
兄(横山さん)の中卒就職 | 家族分離の回避努力 |
24時間テレビで明かされた「保育日誌」の内容
番組では、横山さんが実際に弟たちが生活した児童養護施設を訪問するシーンが放映されました。
そこで見た保育日誌の内容に、横山さんは思わず涙を流したといいます。
日誌に記録されていた弟たちの様子
- テレビで横山さんの姿を見つけると「きみ兄ちゃんや」と小声で呟く充さん
- 兄に抱きついてくる仕草をする勤さん
- お兄ちゃんに会いたいと訴えてホームシックになる日々
- 施設の職員に「兄ちゃんはいつ迎えに来るの?」と尋ねる姿
「弟たちが僕のことをテレビで見て喜んでくれていたなんて…」横山さんは取材でこう語り、当時を振り返って涙ぐんでいました。
施設での具体的な日常と弟たちの心境
勤さん(次男・6歳年下)の施設での様子
兄として背負った重責
横山さんより6歳年下の次男・勤さんは、弟の充さんより2歳年上でした。
施設では「お兄ちゃん」として、年下の充さんをかばいながら過ごしていたといいます。
人懐っこい性格で周囲に溶け込む
- 他の子どもたちともすぐに仲良くなるタイプだった
- 施設の職員からも愛されるムードメーカー的存在
夜に見せる本音
- 消灯後、布団の中で「お母さんと兄ちゃんに会いたい」と小さな声で泣いていた
- 弟の充さんを慰めながらも、自分も寂しさを抱えていた
兄・横山裕への誇り
- テレビで横山さんが映ると、他の子どもたちに「僕の兄ちゃんや!」と自慢げに話していた
- 面会の際は横山さんから離れたがらず、帰り際には必ず涙を流していた
充さん(三男・8歳年下)の心の成長
最年少ゆえの複雑な感情
横山さんより8歳年下の三男・充さん。
3兄弟の末っ子として、また施設内でも年下だった分、周囲の大人の顔色を敏感に察知するようになったよう。
我慢強く成長した背景
- 年上の勤さんが泣いている姿を見て、「僕はもっと我慢しなくちゃ」と思うことが多かった
- 状況をより客観視でき、「なぜここにいるのか」を理解していた
保育日誌に残る心の声
- 「兄ちゃんが頑張ってるから僕も頑張る」という言葉が職員の記録に残されている
- 勉強に対する意欲が人一倍高く、「兄ちゃんみたいになりたい」が口癖
将来への決意の芽生え
- 後に税理士を目指すきっかけとなった「自立への決意」は、この施設生活で培われた
- 「兄ちゃんに迷惑をかけたくない」「自分の力で生きていきたい」という想いが芽生えた時期
兄弟の絆を深めた施設体験
兄弟順 | 名前 | 年齢差 | 施設での役割 | 特徴的な行動 |
---|---|---|---|---|
次男 | 勤さん | 6歳下 | 弟を守る兄 | 人懐っこく、ムードメーカー |
三男 | 充さん | 8歳下 | 我慢強い弟 | 勉強熱心、将来への決意 |
この施設での経験は、2人それぞれの人格形成に大きな影響を与えました。
勤さんは人を思いやる心を、充さんは自立心と向学心を育んでいったのです。
兄・横山裕さんが必死に働いて迎えに来てくれることを信じて、2人は互いを支え合いながら施設での日々を乗り越えていきました。
保育日誌に残されたこれらのエピソードは、血のつながった兄弟の絆がいかに強いものかを物語っています。
兄としての横山裕の決断と行動
中学卒業と同時に建設現場へ
横山さんは弟たちを施設から引き取るため、15歳で高校進学を諦めて建設会社に就職。
朝6時から夜8時まで工事現場で働きながら、ジャニーズJr.の活動も継続していました。
当時の横山さんの1日のスケジュール
- 午前6時:建設現場での作業開始
- 午後6時:作業終了、急いで事務所へ
- 午後7時~10時:ジャニーズJr.のレッスン
- 午後11時:帰宅、明日の準備
- 週末:弟たちとの面会
「家族再統合」への執念
施設の職員から見た横山さんの印象
「お兄ちゃんは本当によく面会に来てくれました。仕事で疲れているはずなのに、いつも弟さんたちのことを第一に考えていた。『必ず迎えに来る』という約束を守るため、必死に働いている姿が印象的でした」
この努力が実を結び、母親の体調が一時回復した際に、3兄弟は再び一緒に暮らせるようになりました。
【施設体験は、横山兄弟たちにどのような影響を与えたのでしょうか】