こんにちは、なおじです。
35年間、流行語を授業にねじ込んできた元社会科教師なのに、2024年の流行語大賞「ふてほど」だけは完全にノーマークでした。
周りに聞いても「知らない」「そんなの流行ってた?」という反応ばかり。
「否定的意見が約9割」という数字を見て、「やっぱりか」と苦笑いした人も多かったのではないでしょうか。
TBSドラマ『不適切にもほどがある!』から生まれたとされる「ふてほど」。
受賞直後から「聞いたことがない」「無理やりすぎる」と炎上する一方で、「ドラマ自体は良作だった」という声も根強いんですよね。
明日、2026年1月4日には新作スペシャル「新年早々 不適切にもほどがある!~真面目な話、しちゃダメですか?~」も放送されます。
作品そのものは、まだ現在進行形で”続いている物語”なんです。
この記事では、「ふてほど」炎上の裏側と、ドラマが映し出した令和社会の息苦しさ。
その二つをつなげて、流行語大賞の功罪と現代日本の”分断”を整理していこうと思います。

この記事でわかること
- 「ふてほど」が流行語大賞に選ばれながら批判された理由
- ドラマ『不適切にもほどがある!』が描いた社会問題の本質
- 流行語大賞の選考制度が抱える構造的課題
- コンプライアンス過剰と人間関係希薄化という現代日本の病理
- 流行しなくても残る作品の社会的価値とは何か
「ふてほど」流行語大賞の二つの顔

「ふてほど」は、ドラマ『不適切にもほどがある!』の略称として公式が打ち出した言葉です。
いわば”最初から用意された流行語候補”のようなポジション。
ドラマ自体は、昭和の体育教師・小川市郎(阿部サダヲ)が令和にタイムスリップし、今の価値観やコンプライアンスの空気に戸惑う物語でした。
昭和のノリ全開でぶつかる市郎と、令和の若者たちの反応。
このギャップが笑いとモヤモヤを同時に生んでいたんですよね。
一方、「ふてほど」という言葉そのものはどうだったか。
Xのタイムラインを眺めても、「ふてほど」を自然に使っている一般ユーザーは決して多くありませんでした。
公式がつけたハッシュタグを、そのまま使っている人が中心。ここが、今回のモヤモヤの出発点です。
「ドラマは見ていたけど、ふてほどなんて呼んでいない。」
そんな視聴者の感覚とのズレ。
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流行語騒動が映した選考制度の課題

「聞いたことがない」が最多意見
流行語大賞の発表後に集計されたネットの反応では、「ふてほど」に否定的な意見が約9割を占めたと言われています。
「聞いたことがない」「流行していない」がダントツのトップ。
正直、学校の学級会だったら「この案は一回持ち帰りですね」となりそうな数字。
多数決どころの話ではない。
そして不満の矛先は、「ことば」そのものだけではありませんでした。
「選考基準が見えない」「他にふさわしい言葉があったはずだ」「テレビ業界への忖度では?」
矢印が流行語大賞という”仕組み”に向き始めたのが、今回の特徴。
一方で、「年末の風物詩として楽しんでいる」「選考委員の意図はわかる」という寛容な声も、2割ほどはありました。
とはいえ、全体のトーンはかなり冷ややか。
生徒に例えると、「クラスの大多数がニヤニヤしながら黙っている」ような空気。
これは、単なる一回の”外れ年”では済まないサインのように感じました。
テレビとネットの深刻な断絶
ここ数年、流行語大賞に対して「ちょっとズレてないか」と感じる人は増えてきたと思います。
2024年の「ふてほど」は、その不信感に火をつけた形。
まず、一番大きいのが”テレビ中心”の視点かな。
いまだに地上波の番組やスポーツイベントが中心で、ネット発のミームやZ世代の言葉は、よほど大きな爆発でもないと上位に入りにくい構造。
「いやいや、今の若い子たちはそんな言葉使ってないよ」と、生徒の顔を思い浮かべた先生方も多いのではないでしょうか。
次に、選考委員の側の世代感覚。
長くメディアを支えてきた方々である一方、今のネット文化とは生活圏が違う。
そのこと自体は責められませんが、「世代を超えた合議」になっていない印象は否めません。
そして決定打が、「ふてほど」が”自然に生まれた略称”ではなく、”最初から用意されたパッケージ”に見えてしまったこと。
ここが、視聴者の反発ポイントだったように感じます。
いじめの学級会で、担任が用意した結論に向かって話し合いを誘導してしまう。
あの気まずさに、どこか似ている。
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