令和8年9月5日(土)最終更新
太田光代さんの母親が信仰していた宗教団体名は、公表されていません。
ただ、太田さんは著書で、母親が自分の出生前に新興宗教へ入信していたことを明かしています。幼い自分を地域の会合へ連れて行った母親。勧誘を受けても「何を信じるかは自分で決める」と言い返した義父。
宗教の名前を追うより、この家で交わされた言葉のほうが、ずっと重いのです。

この記事のポイント
Q1. 太田光代さんの母親が信仰していた宗教はどこ?
太田光代さんは、母親が信仰していた具体的な宗教団体名を公表していません。著書では、母親が太田さんの出生前に親族の勧めで新興宗教へ入信していたと語っています。
Q2. 太田光代さんはなぜ宗教2世だったと明かした?
太田光代さんは2022年、自身が宗教2世だったことをSNSで明かしました。子どもの頃に育ての父が助けてくれて脱会したことや、話題となった旧統一教会とは別の宗教だったことに触れています。
Q3. 太田光代さんを助けた義父は何をした?
太田光代さんの著書によると、義父は宗教への勧誘に対し、「何を信じるかは自分で決める」と答えて入信を断っていました。その姿を見た太田さんは、自分も信じるものを自分で選びたいと思うようになったそうです。
太田光代の母の宗教はどこ?公表されていること

太田光代さんの母親が信仰していた宗教について、本人が明かしているのは「新興宗教に入信していた」というところまでです。具体的な団体名は、太田さん自身の発信や著書では語られていません。
母親は太田さんの出生前に新興宗教へ入信していた
太田さんは著書で、母親が自分の生まれる前、親族の勧めで新興宗教に入信していたと記しています。
幼い太田さんは、母親と一緒に地域の会合にも参加していました。母親にとっては信仰のある日常だったのでしょう。けれど、子どもの太田さんにとっては、選んだ覚えのない日常でもありました。
特定の団体名を探すより、本人の語りを読む
検索すると特定の宗教団体名が出てくることがあります。それでも、巨大な仏壇や勧誘の話だけから、母親の信仰先を一つに決めることはできません。
太田さんが著書に残したのは、団体名ではなく家の中の景色です。母親と通った会合。勧誘を受ける義父。家に置かれた大きな仏壇。
そして、「何を信じるかは自分で決める」という言葉でした。
幼い太田光代さんと宗教のある家庭

太田光代さんは幼い頃、母親と一緒に地域の会合へ出かけていました。親を疑うような年齢ではなく、母親が宗教活動に深く関わることも、ごく日常のこととして受け止めていたといいます。
地域の会合が日常にあった幼少期
母親が新興宗教に入信していたことを、太田さんは自分が生まれる前から続く家庭の記憶として書いています。
小さい頃には、母親との心の距離を感じていなかったそうです。会合へ行くことも、母親が熱心に活動することも、太田さんの目には当たり前の風景として映っていたのでしょう。
ところが、年齢を重ねるにつれて、その「当たり前」に自分の気持ちが追いつかなくなっていきます。
子どもにとって「自分で選ぶ」とは何か

太田さんは10歳くらいになると、母親に「もう宗教の集まりには顔を出したくない」と言うようになったそうです。小さな「行きたくない」が、家では大きな波紋になったのでしょう。
その言葉のそばには、勧誘を受けるたびに理屈で断る義父の姿がありました。太田さんが「私も同じように何を信じるかは自分で選びたい」と思うようになったという回想に、子ども時代の目線がそのまま残っています。
義父が守った「何を信じるかは自分で決める」

太田さんが6歳頃、母親は再婚しました。太田さんにとって初めての「お父さん」になった義父には、結婚後も宗教への勧誘が繰り返しあったといいます。
勧誘に理屈で向き合った義父
「そろそろ奥さんと一緒にどうですか」
そう勧められても、義父は首を縦に振りませんでした。
「いやいや、何を信じるかは自分で決めますから」
「日本には憲法で定められた信教の自由というものがありますから」
太田さんの著書には、そんなやり取りが残っています。相手の信仰を力で止めようとはしない。その一方で、自分自身が信仰するかどうかは譲らない。義父はその線を守り続けたのです。
父の姿から見えた選ぶ自由

太田さんは、宗教の勧誘に訪れる人を理詰めで追い返す義父を見て、「信頼できる人」と思ったそうです。
「私も同じように何を信じるかは自分で選びたい」
その思いが育っていったと、太田さんは記しています。
「いやいや、何を信じるかは自分で決めますから」
勧誘を受けた義父のこの言葉は、娘に向けた説教ではありません。それでも太田さんの中には、長く残ったのでしょう。
選ぶこと 守る背中が 父になる
大きな仏壇と、10代半ばの一人暮らし

太田さんが中学生になったばかりの頃、帰宅すると六畳もない部屋に巨大な仏壇が置かれていたそうです。三方開きの扉が付いた高級仏壇で、母親は「どう? すごいでしょ」と自慢げに見せたといいます。
| 時期 | 出来事 |
|---|---|
| 太田さんが生まれる前 | 母親が親族の勧めで新興宗教に入信したと、太田さんは著書で語っている |
| 幼少期 | 母親と地域の会合へ参加していた |
| 6歳頃 | 母親の再婚により、義父と暮らし始めた |
| 10歳頃 | 宗教の集まりへ行きたくないと母親に伝えるようになった |
| 中学生の頃 | 自宅に巨大な仏壇が置かれた出来事を経験した |
| 10代半ば | 自宅を出て、高校近くの女性専用アパートで一人暮らしを始めた |
| 2022年8月 | 自身が宗教2世だったことをSNSで明かした |
家に置かれた巨大な仏壇
その夜、母親は会合へ出かけました。残された太田さんは仏壇を見ながら、「お母さんはもう話が通じないところにまで行ってしまったんだ」と思ったそうです。
しばらくして帰宅した義父は、仏壇の前で絶句しました。そして太田さんへ、「ごめんな」「お父さん、いよいよお母さんと離婚するかもしれない」と漏らしたといいます。
あの部屋で、父と娘は同じ仏壇を見ていました。太田さんが「私のこと、置いていかないで」と言った場面には、家族の足元が揺れる音まで聞こえてくるようです。
一人暮らしで背負った学費と生活費
その後、太田さんは10代半ばで自宅を出て、高校近くの女性専用アパートに住み始めます。帰宅して玄関を開けた瞬間、包丁が飛んできたことがあり、「命の危険を感じた」として家を出る決意を固めたのです。
制服のまま大家へ会いに行き、「事情があって家では暮らせません」と頭を下げた。保護者の署名も自分で書いた。喫茶店のアルバイトを二つ掛け持ちし、家賃と生活費を稼いだといいます。
さらに学費、下宿代、保険料も重なりました。それでも太田さんは、自分で暮らす道を選びました。
2022年に語った宗教2世としての経験

2022年8月、太田光代さんは自身が宗教2世だったことをSNSで明かしました。夫・太田光さんの旧統一教会をめぐる発言が議論になっていた時期のことです。
本人発信で示された「宗教2世」という言葉
太田さんは投稿で、子どもの頃に育ての父が助けてくれて脱会したこと、話題になっていた旧統一教会とは別の宗教だったことに触れました。
さらに、実の父と母の宗教が異なっていたこと、自分は生まれてすぐ入信させられたことも書いています。そして、「私は誰も恨んではいません。私に面倒をかけないと言っていた母も今は同居しています」とつづりました。
母親を一方的に切り捨てる言葉ではありません。そのあとに続く「私は自分の眼で見たものや体験した事しか信じません」という一文が、かえって胸に残ります。
語られた過去を、憶測より先に受け取る
投稿には「私の犠牲になっているのかな」という言葉もありました。夫をめぐる議論が大きくなった時期に、自分の過去を重ねて出てきた一文です。
ただ、太田さんが書いたのは夫の話だけではありません。「私は宗教が嫌いな刹那な人です」「自分の眼で見たものや体験した事しか信じません」。その言葉は、太田光代さん自身の人生から切り離せません。
太田光さんをめぐる旧統一教会関連の発言には、太田光代さんの生い立ちとは別に、発言そのものをめぐる論点があります。
👉関連記事:太田光 統一教会 発言|選挙特番起用に感じる疑問
選挙特番での発言や、旧統一教会をめぐるコメントに、なおじがどこで引っかかったのかをまとめています。
よくある質問
義父は宗教の勧誘にどう向き合った?
太田光代さんの著書によると、義父は勧誘に対して「何を信じるかは自分で決めますから」と答え、「信教の自由」にも触れながら入信を断っていました。母親の信仰を止めようとするのではなく、自分が信仰するかどうかは自分で決めるという姿勢を貫いたようです。
太田光代さんが10代半ばで別居した理由は?
太田さんは著書で、高校生の頃に帰宅して玄関を開けた瞬間、包丁が飛んできたことを明かしています。そのとき「命の危険を感じた」として、家を出る決意を固め、高校近くの女性専用アパートで一人暮らしを始めました。
2022年の発信では何を語った?
太田さんは、自身が宗教2世だったこと、育ての父が助けてくれて脱会したこと、話題になっていた旧統一教会とは別の宗教だったことを投稿で明かしました。また、母親と現在は同居していることにも触れています。
太田光代さんの母親の宗教は創価学会だった?
太田光代さん本人は、母親が信仰していた宗教団体名を公表していません。著書で語られているのは、母親が太田さんの出生前に親族の勧めで新興宗教へ入信していたことです。
筆者紹介|なおじ
なおじ。公立小・中学校で約35年、社会科を教え、校長・指導主事としても教育現場に携わってきました。
「何を信じるかは自分で決める」。太田光代さんが見た義父の言葉を読んで、教室で出会った子どもたちの、小さな「いやだ」「自分で決めたい」という声を思い出しました。現在は8つのブログで、人物の言葉や仕事の奥にある時間を追いかけています。
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